おにぎり18.千代田区長へ抗議の申し入れと改善要請

 

2003年11月

73歳になるTさんは嘔吐してしまうため、何日も何も食べていない状態が続き、歩くのもつらそうだった。
11月4日、私たちがゆっくりサポートしながらようやく千代田福祉事務所にたどりついた。

千代田福祉事務所で対応した職員は三井記念病院を手配、片道切符を持ってきて歩いて行くように言った。
しかし、とても病院まで歩いて行かれる状態ではなかったので、救急搬送を依頼すると、三井記念病院では今日は救急外来を受け入れない、
病院はそちらで探してほしい、生活保護費の支払日で多忙なので病院を探している時間がない。
救急車も福祉事務所では呼べないので自分で呼んでほしい、と言われた。
私たちは再三、依頼したが拒否され、私たちがやむなく救急車を呼び済生会中央病院へ搬送、添乗し、入院となった。

千代田福祉事務所全体が野宿者に対する人権無視、
門前払いをおこなっていることに強く抗議するとともに改善を要求する文書を千代田区長宛てに提出。

このとき、同時に、千代田福祉事務所で生活保護を受けて、
荒川区南千住の簡易宿泊所「豊荘」で暮らしていたKさん(80歳)が加齢によって介護が必要になってきた。
そこで私たちは、簡易宿泊所で暮らす状態ではなく、放置すれば同宿泊者や施設の方に介護負担を強いる状況が続くので、
介護保険や長期療養型の病院、または介護が可能なグループホームなどの社会資源を活用するように担当職員にお願いしたところ、
すぐ手配する旨、口頭回答したにもかかわらず、2ケ月間もなんの進展もなく、11月11日に確認したところ、
これから「白髭病院」で全体的な検査をして転院可能な病院を探すということであった。

2ケ月間はなにをしていたのだろうか。
このような怠慢な福祉行政に対して強く抗議するとともに改善を要求することも、同じ文書で提出した。

その後、数寄屋橋公園、東京国際フォーラムと京葉線東京駅を結ぶ地下コンコースから野宿生活者およびおにぎり仲間の活動が排除された。
日比谷公園での野宿者の孤独死、2007年には野宿者の方が描いた絵の展覧会を開催するなど、さまざまな出来事があった。

本当に細い糸ではありますが、これからも、ピンと糸を張って、野宿生活者の方々と手を取り合って活動していきたいと思っています。

 

1.はじめに2.門出・出発・スタート3.おにぎり作成班発足4.初めての路上死

5.日比谷公園聞き取り調査6.越冬パトから定例パト実施へ7.日比谷公園から救急搬送

8.岡田大司教と持別パトロール9.居宅保護もやい1号10.おにぎりミーティング開始

11.聖イグナチオ教会正式活動クループに12.にぎりもやい発足

13.不服審査請求と千代田福祉の協議14.テント撤去事件

15.野宿者健康(医療)相談会16.野宿生活者写真展

17.千代田福祉事務所への抗議の申し入れ18.千代田区長へ抗議の申し入れと改善要請